バンド誕生?
今からさかのぼること3年半、雪解けの水が小川を流れ、
日差しが肌に温もりを感じさせるころだったと思う。(なんのこっちゃ)
1995年3月26日(日)の京都ミューズホールと手帳には記述してあるが、とても曖昧である。
記述者である私(as)と大学からの腐れ縁で10年以上の付き合いのあるチェット(g)は、
当時ポップスロックバンドを解散したばかりで、
ギターリストを探し求めて放浪していた3人組(厚地奥さまp、クマちゃんb、厚地だんはんds)に呼び出され、
初めての音シバキに遭うことになる。
この3人組とは、以前から記述者も在籍していた石川ジャズクインテットのチャーリー(P)が、
他にも浮気をして活動していたバンドのメンバーの友人のポップスロックバンドの面々である。
ということで直接は関係(あくまでも知人としては互いに認識はしていた)ないのだが、
3人組はギターリストを探し求めて放浪、
石川ジャズクインテットはp、b、dsが遠いところにいるためほぼ崩壊寸前という、
極めて奇跡的な縁(普通はいづれかのパートが余り成立しない場合が多い)で再開し、
新バンド誕生となったのであった。

フュージョンバンドとしての活動開始?
定かでない1995年3月26日(日)の京都ミューズホールでの最初の曲は、
何とハービー・ハンコック先生のウォーターメロンマンであった。
なぜにこの曲を選んで、みんなで演奏したのかは解らないが、
とにかく2時間もの間この曲だけを演奏したような気がする
(これを音シバキと言わずしてなんという!今思えばつまんね〜)。
さて、方やジャズバンドで方やポップスロックバンド。何をやるかが一番悩むところで、
単純にジャズとロックを足せばフュージョンじゃんと誰かが言ったかどうかは知らないが、
落ち着くところはそうなるでしょう。
ってな訳でこれを皮切りに、今はとっくの昔に忘れ去られて隅に追いやられたフュージョンバンドで邁進することになった。
しかし曲を決めるのも毎回大変!それぞれが元々好きなジャンルやアーティストが違うので、
持ち寄っては却下の嵐。そうこうしてるうちに、1年が経ち2年が過ぎ、3年迎えたらまずいやんけと言わんばかりの、
1997年9月27日(土)出戸パンセホールにて、めでたくも初ライブ(地球最後の日)を決行してしまった。

URUSADERS(ウルセイダーズ)誕生秘話?
このバンドの名前は、そう簡単に命名された訳ではない。
紆余曲折、波乱万丈の日々の中(そんなことねーだろ)ようやく決まった名前である。
そもそも当初は、4回目の練習である1995年5月27日(土)の大正区Free Peopleでの時に、
ORC(オルカと読み、イルカかシャチの意味だったと思う?)という名前にしようかな〜と決めつつも、
ずるずると初ライブ直前まで引っ張ることとなる。
しかし何故今のバンド名になったかというと、色々とバンドの中でも意見の分かれるところで、
一つは不思議なことに曲を決める時、クルセイダーズの曲は皆やろうということが多く、
結果前回のライブも今回のライブにも取り上げられているということ。
それプラス、それぞれが音楽にこだわりを持っていてウルサイということ。
一説には、ひどい演奏で目も当てられず、
聞くに堪えないウルサイバンドだということ?などが命名された理由ではないかといえる。
皆はどう思っているかは定かではないが、少なくとも筆者である私は、
クルセイダーズファンでもあるため非常に気に入っている。
ちなみに曖昧な記録によると1997年7月2日(土)奈良スタジオハーツの練習後、
ファミレスにて“URUSADERS”に決定、翌8月22日(金)PM11:25にロゴが制作された。
少し文章が短く書き足りないことがあるが、これくらいにしといたろうやないけ!

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